当たり前のことが難しい。これは別に挨拶とか、よく言うホウレンソウなどのことではまったくない。例えば乗車口の前にドアをもってくる電車の運転手の技術だったり、毎時教室にやってきて教鞭をとる先生などのスキルのことである。ごく当たり前のことばかりではあるけれど、やってみるとべらぼーに難しかったりする。慣れ、という問題も大きいのだけれど、それってつまり熟練、ということでは、と思うとありがたみも少し違ってくる。
例えば手ものとの雑誌をちょいと開いてみる。ぺたっと開いて水平に持ち上げて眼の高さまで持ってきてみよう。そこでストップ。二段組以上の体裁で、文字がまっすぐ流れていれば、その雑誌は合格だ。
複数の段の文字を、ぴたりとそろえるのは特に雑誌ではほんとは難しい。同じ誌面に図表を入れたり、写真を動かしたり、見出しの大きさもころころ指示がかわる。そのたびに版面をいじくり回していると、いつのまにか段と段の文字列がぴたりとあわなくなってくる。ずらしたとことは、そのずれを計算して行取りを調節しないといけない。これはDTPオペレータの仕事になるが、自分でやれと言われればまずできないだろう。一ページにおさめなくていいならただ文字を流すだけだのものだが、字数も毎回てんでバラバラなものを見開きにおさめて、なおかつきっちりくむのはこれはもう神業である。
でも、だれもわからない。自然な誌面で読みやすい。だから気にも留めない。
どんなにすごい神業でも、わからない。神は細部に宿るなんて、悪い冗談みたいだとほんとに思う。
なにげなーく、ぼーっと歩いている道ばたに神々はおそらく無数に転がっているにちがいないのだ。
ほんとに、それはもう八百万くらいには。自然に、何気なく、生活を支えてくれるなんて、ほんとにこの住み良い日本は八百万の神様のくになんだなと、思ったりもするのだ。
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