ところを得る、というのは意外と大事なことだ。例えば、編集作業のうち、企画を立てる、取材する、記事を書く、それらの制作進行をするというのは、全部別の仕事と言っていい。企画を立てるときに、取材先でヒントをもらうことくらいはあるかもしれないが、それでいい記事がかけるとは限らない。抜群に使える写真をとれるからといって、それが即企画立案に結びつくものではまったくない。
本来、どれも編集者の仕事だ。もちろん、職能に明確な定義はないけれど、僕の知っている編集者はこれを全部一人でやれる人もいる。やれる、というかできる、というレベル。だからといって「やる」わけではないところがみそ。どの分野にもプロがいる。カメラマンがいる。ライターがいる。デザイナーがいる。その分野において抜きんでたからこそのプロだ。かなうはずがない。
しかし、それでもなお、編集者はそのすべてができなくてはならない。平均点くらいはとることが、この職能のプロ意識ではないかとすら思う。やろうと思えばできる、というレベルがもちろんベストだが、やってみてその分野の勘所や、難易度がなんとなくわかっているだけでもいい。ある程度の理解がないと、どうだめなのかわからないからだ。それではオーダーもリテイクもできない。クオリティがばらけて、いい本はできない。
だから、編集者はいきおい全部をやろうとする。少なくとも小さな編集部だから必然的にそうなるとも言える。それで冒頭の言葉に戻る。苦手な分野もあって、得意なこともある。できることもあれば、からっきしうまくできないこともある。記事を書くのは抜群でも、取材ができない。取材で現場に入っていくのは舌を巻くほどうまいのに、記事に余分なことを書きすぎる。いろいろある。人には本当に得手不得手がたくさんある。
できない。そういうことはどんな分野にでも、だれにでもある。だが、それはある程度の積み重ねや性格的な問題もあってそうなっている。それはその人の能力だし、本人が自覚すればある程度の矯正はできるかもしれないが、効率がいいとはいえない。
自分の能力をしること、それにあった働き方をすること。本来はそれが一番大切なはずだ。ライターはだから書くことに特化できる人種なわけで、デザイナーは書くことができなくても版面をつくることにかけては人後に落ちない。そういう専門化によって全体のクオリティがあがる。それはとてもすばらしいことだ。
自分のあるべきところを得る。その合作。それが一冊の本になればそれはすばらしいことだと思える。
そして、それをコーディネートできるのが編集者といったら、少し言い過ぎだろうか。
多少ロマンはあると思われる。
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