2007年7月23日月曜日

教養と神話

朝、たまに中央ライナーを利用して出勤している。乗車券の他に特急
券が必要だし、立川から新宿まで停車しないので、勤務地を通りすぎ
てしまうという欠点はあるものの、足をのばして、座席を倒し、本を
読める環境は得難いものがある。

500円でこのサービスなら全然高くない、むしろ安いと言える。満
員電車で目の前の座席に500円払ったら座らせてくれるなら、払う
人は案外多いはず。

そんなプチブルシートで大塚英志の「教養としての<まんが・アニメ
>」を読む。昔から「ガンダムはいずれ教養になる」と豪語してきた。
だから興味はある。だから読んだのだが。一読した感想としては、皆
そこまで考えてマンガ読むかい?という素朴な疑問である。もともと
教養は単なる知識ではなく、ある種の文化的理想を体得し、それによ
って個人が身につける総合力という意味合いが強い。つまりなんらか
の思想的なバックグラウンドをもとに集積された知識の総合力であっ
て単なるオタク的ナレッジではない。つまり、時代を背景としたある
一定の広がりをもった図版に位置づけられた知識なり、教義を体系的
に身につける時代の学問と呼ぶべきものだ。そう考えると「ガンダム
が教養」というのはちょっと違うかもしれない。この本を読んでその
想いが強まった。



この本は、良く知られた古典的アニメやマンガ作品を、戦後史のなか
に配置し、その文化的意味を定義していく。つまりまっとうな教養へ
の解釈の上に成り立った極めてまじめな本なのだ。

その意味で、こちらの本に非は無い。一読して感じた違和感は、自分
の好きなものが感覚ではなくロジックでとらえられることへの極めて
主観的な拒否感だと思われる。普遍的なものへのストレートな嫌悪と
言っても良い。知識が敷衍する分にはかまわない、しかし、それが、
作品外の一般的でもっともらしい言葉に抽象化されて語られることに
違和感が拭えないのだ。

ガンダム、ひいてはサブカルが教養になって欲しいわけではないのだ
な、自分は、とこの本を読んで理解できる。同世代の共通項としての
サブカル。まあいつの時代もあったと言われればそれまでだ。
ただ、同世代の共通言語として、革マルの代わりにティターンズとか
民青の代わりにエウーゴといったキイワードとして、そしてその合い
言葉で想起される大きな物語を同世代の共通項としてとらえたいと思
うだけなのだ。それもイデオロギーとはちょっと違うもので。言葉で
現実に力を行使しようなんて、もう我々の世代はおもっちゃいない。



騙り、語り継ぐ「ガンダムは、我々の時代の神話だ」
とかね。

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