友人から本が届く。町田康の「くっすん大黒」まだ読んでいない。
さて、どうやって読もうか。本にはいろいろな読み方がある。
大きく分けて、筋をざっくり追う場合と、じっくり映像展開する場合
だ。これは、フィクションでもノンフィクションでも変わらない。そ
の人個人の好みに左右されるものだ。
自分が読む場合はどうしても会話の表現に感心があるし、せっかちな
ので、地の文などはあまり丹念に追わない。
ジュールベルヌの「海底2万マイル」で、ネモ船長の美術品のコレク
ションが絢爛に2頁におよんで丹念に描写されるのを読んで多いなる
壁を感じた。ショック。しかし、すぐにその壁を登らなくてもよい、
つまり避けて通ることができるということを学び、黄泉とバス、(す
ごい変換である読書の神がお怒りたもうたか)
そんなこんなで今まで本を読んできた。しゃべるより読む方が早い。
だが、それではもったいない。入ってくる情報がテキストばかりであ
る。せっかく読むならあまたのなかでビジュアルを展開してじっくり
味わった方がよいのではないか。
このテキストで映像をつくるとどうなるか、細かいところまで想像す
る。そうすることで情報量は何倍にもある。もともとテキストは映像
に比べて無駄が無い。コップはコップだし、美人は美人である。もと
もと現象を抽象化した文字で構成されるテキストは、だからこそ、遍
在するとも言える。情報の含有量のポテンシャルは何より高い。
テキストを読み込んで、映像を展開し、情報量を増やす。それはむしろ
アウトプットに近い。そうするとこで、それは自分だけの本になり、読
書が体験と呼ぶに相応しいものになる。
これは逆もまた真で、映像展開しやすい本が、臨場感があって、面白い
本とも言える。だから、その意味ではどちらが正しいといえる質のもの
ではないのかもしれない。
しかし、自分の心構えで何とかなるのは、読む時の心構え。作家がどう
書いたかはどうしようもない。せめて、ゆっくりとしゃべるよりも遅く、
文字を一つ一つ絵の具を紙に載せるように丁寧に配置して絵を描くよう
に読む。最近読書がマンネリ化してきたような気がする。
新刊は日に数百点の割合で出ている。
本がマンネリしたわけでは、たぶんない。
自分の読み方を変えるべきときにきているのだと思う。
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