2007年9月4日火曜日

【無駄思考】可能性の粘土

仕事帰りにダッシュで寄り道をして粘土を購入。このごろ可能性という
ことについて考える。勢い粘土を握りしめながら可塑性ということにつ
いても考える。可能性というのは、この可塑性に近い。何もないところ
にある、ぽつんとある概念ではなく、何かしらマテリアルがあってその
ポテンシャルを測る概念といえる。つまり、無限の可能性という言葉は
この意味では既に矛盾している。前提としてのマテリアルの制約を受け
ることが、可能性の「可能性」であり、限界でもある。人間は完全にマ
テリアルとしてのポテンシャルが完結している。有機構成体としての限
界が人間を空間的、時間的に制約すると考えるのはそれほど無理のある
仮説ではない。無限の可能性を信じる人は、では魂の存在を信じるとい
うことだろうか。それならそれでもいい。ただし、今気になるのは社会
というさらに制約の多い場所で無限の可能性がいとも平易に語られる点
だ。道具も無い、材料も無い、粘土もない、そこで何でも作れるよと騙
りかけることは、ひたすら夢を見ろと言う事だ。可能性なんて粘土で何
をつくれるか、ということと変わりがない。何でも作れる粘土などある
か?

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