2007年8月30日木曜日

ポストモダン化

ポストモダン、という言葉の定義はかなり曖昧で分かりずらい。一見して
ウィキペディアの説明もかなり頭が悪い。つまり要領を得ない。批評家の
東浩紀は共産主義の崩壊に象徴されるような大きな物語の凋落によって、
万人が共通するコンテクストを生きられなくなった世界、と定義している。

今のところこれが一番分かりやすい。そこでは全ての物語は細分化され、
人はあくまで個人的な小さな物語を生きている。昔、まだ恐竜のような主
義や思想が生きていた頃、皆が当たり前のように共有していた前提が、こ
こでは一つの選択、つまり選びとるべき物語の一つでしかなくなっている。

そんな現代。果たして批評は意味を持つのか。ここではあらゆる思想がフ
ィクションでありファッションであり得る。自分が好んで着る服を他人に
批評されることはいい迷惑でしかあり得ない。批評、もしくは言論、つま
り、現状になんらかの文脈を見いだし、それを批判、もしくは是認する行
為の全てが社会全体に対してなんら影響力を行使できないのがポストモダ
ン後の世界ということになる。

なんらかの主義、主張に対して批評を加える事は、誰かの好みに対して自
らの好みを主張するに等しく、言われた方にしても、それを聞く方にして
も、なんらの価値を見いだすことはできない。

それよりも、自分と似た好みに対して寄せるシンパシーの方が強力であり
雰囲気が先行する世論をみるまでもなく、今、力を持つのは主張、言論、
ジャーナリズムではなく、共感。そして、主張の入る事の無い、情報。
この二つであろう。

久方ぶりに批評集を読みながら、思ったのはこの点である。
この違和感を拭えなかったからこそ、自分は会社に入る道を選んだのであ
り小説を読み始めたのだった。

そしてまた同じところへ戻ってきたというわけ。

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